福井駅東口に1944年に存在した謎のトロッコ軌道

 

福井空襲史には、1944年当時の住宅地図が付属しています。その地図を確認すると、福井駅東口からガス工場へと続くトロッコ軌道が描かれていました。一体この軌道は何なのか、調査を行いました。

引用元:福井空襲史/福井空襲史刊行会、ページ番号なし

 

文献調査

まず、福井市立図書館で福井市企業局ガス部発行の『80年のあゆみ』を手に取りました。これは福井市のガス事業の歴史をまとめたものです。また、後年発行された『福井市ガス事業100周年記念誌』も確認しましたが、こちらは『80年のあゆみ』の続編で、内容はほぼ同じでした。

 

 

『80年のあゆみ』によると、昭和初期、ガス需要の増加に伴い施設の拡充が行われました。その一環として、ガスの原料となる石炭を運搬するため、福井駅構内に「原料炭運搬専用側線」が設置されました。また、ガス工場内にはコークス置場やコールタール溜が昭和7年(1932年)までに増設されています。

次に、国土地理院のサイトで購入した1946年10月の航空写真を確認しました。空襲から1年後の写真ですが、当時の住宅地図と比較すると、トロッコ軌道があったとされる場所(緑線)には明確な痕跡が見当たりませんでした。

国土地理院発行 1946年10月航空写真 筆者購入資料

ちなみに、緑線は現在のアオッサ北側の道路に位置し、4番町と書かれた道路は手寄公園南側道路として今もあります。

 

福井市鳥瞰図昭和8年(1933年) デジタルアーカイブ福井サイト(https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/da/detail?data_id=012-1002503-0)より

この資料にもトロッコ軌道の記載はなしです。

 

このトロッコ軌道は、おそらく福井駅からガス工場へ石炭を運搬するために敷設されたものと考えられます。しかし、2025年2月現時点の調査ではその詳細は判明していません。戦時中の物資不足により一時的に設置されたものなのか、それとも「福井市ガス工場石炭運搬線」とも呼べる小規模な貨物線だったのか、あるいは単なる工事用軌道だったのか——。

今後、新たな情報が判明した際には追記していきます。

 

ガス工場跡地の手寄公園

 

 

以上、福井駅東口に1944年に存在した謎のトロッコ軌道 でした。

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