北陸本線 北福井信号所(仮乗降場)は二の宮1丁目にあった

北陸本線 福井駅~森田駅間に新駅ができるという報道を見たときに真っ先に北福井仮乗降所の復活や!と叫びました。文献で北福井信号所の名前はよく目にしますが、当時の写真や場所を記載した資料は少なく、どこにあったのかまでは知りませんでした。先日執筆した「北陸本線 福井駅~森田駅間の新駅はどこにできるのか」の調査に入るにあたり、信号所がどこに存在しているのかを突き止め、その結果をまとめたのが今回の調査記事です。

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北福井信号所(仮乗降場)とは

概要

北福井信号所とは福井駅~森田駅間に短期間だけ存在していた信号所です。福井駅~森田駅間は約5.9kmあり、当時は単線であったため、列車本数増加のために両駅のほぼ中間地点列車のすれ違いができる信号所が1943年10月1日に設置されました。同時期、北陸本線の各所では同様の理由で複数の信号所が設置され、その後旅客駅に昇格したところもあります(例、湯尾駅、加賀温泉駅)。1949年7月10日には仮乗降所が設置されました。仮乗降場とは駅を設置するほどでもない場所に利用客の利便性向上のために設置された仮の駅です。普通の旅客駅は国鉄本社の認可の元に設置されますが、仮乗降場は地方の鉄道管理局の権限で設置する簡易な駅なため、最低限の設備しかない駅が大半で、地元民が利用の対象者なため、全国版の時刻表には駅名が掲載されないこともありました。当時の列車はドアが手動なため、列車が止まる場所なら乗客が勝手に乗り降りすることができました。乗客が多く、列車の本数が多い幹線の信号所では運転停車中に少なくない乗客が勝手に列車から降りたり乗っていたりしていたそうです。そういう背景から信号所に仮乗降場を設置することは多かったです。北福井信号所は福井市郊外であり、周辺には集落も多い為、そういう乗客がそれなりにいたと思われます。

しかし、2年後の1951年9月1日に仮乗降場は廃止、1961年9月28日福井ー森田間は複線化され、信号所はなくなりました。※複線化前に信号所が廃止されたかは不明。

 

1948年航空写真

1948年の航空写真です。田んぼの真ん中に信号所が設置され、複線になっているのがわかります。中央付近には信号所の施設と思われる建物があり、複線部が終わる両端には安全側線が設けられています。踏切や水路はどうなっているかを現在の航空写真で比較しました。

 

この航空写真は福井震災直後に撮られた写真であるため、信号所で福井方面行の機関車が横転しています。

2014年航空写真(現在)

2014年の航空写真です。周辺は完全に市街地化していますが、1948年当時にあった踏切や水路は現在も残っています。信号所施設の建物があった場所には現在は電気設備が設けられています。安全側線があった築堤の一部は複線化後も残っていましたが、市街地化の区画整理時に道路となりました。

 

 

信号所があった場所

信号所施設があった場所です。グーグルマップ上では蓄電池設備となっています。

脱線した車両

福井市郷土歴史博物館のサイトにて、北福井信号場で脱線した車両の写真があったので引用します。

1948年の航空写真から2編成の列車がこの信号場で交換中に地震に巻き込まれたと思っていましたが、この写真から福井方面行の機関車+客車10両の列車が地震により、機関車+前客車4両が西側に転覆したことがわかりました。

 

右の建物は信号所の施設です。

 

現地の様子

2020年5月24日の様子です。

高木踏切付近

北国街道です。北側にフェニックス通りの跨線橋ができるまではここが国道でした。国道8号線の旧旧道になります。

 

 

信号所の北端です。

 

北福井踏切付近

信号所のほぼ中央付近にある北福井踏切です。踏切の通路幅は当時から変わっていないと思われます。当時は田んぼの中にぽつんとある踏切でした。

 

踏切名は信号所名からきているのでしょうか。

 

踏切の反対側です。拡幅はされていますがこの道も当時からありました。

 

踏切から北側

 

踏切全体

 

踏切から南側

 

信号所施設跡

信号所施設跡地と思われる場所です。この辺りは線路沿いに道路が並行していますがこの場所だけ、道路は迂回しています。それは区画整理以前から施設が先にあったためです。

 

現在は電気設備が設置されています。

 

施設南側にある水路は当時からあります。

 

線路をくぐる水路

 

水路に架かる鉄橋はもしかしたら1943年に設置された物かもしれません。

 

列車が来ました。

 

信号所南端付近

信号所南端です。若泉公園があります。

 

すぐ南側には底喰川が流れています。川が線路を斜めに横断しているのは当時から変わっていません。

 

この場所が一級河川としての底喰川の起点です。ここから上流は準用河川底喰川になります。

 

以上、北陸本線 北福井信号所(仮乗降場)の現在の様子でした。福井駅~森田駅はどこにできるのか、私は以前の記事で高木西付近と推測しましたが、両駅の中間地点であるここだった場合、駅名は「北福井駅」を推奨します。

 

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