2020年6月28日は1948年の福井震災発生から72年目です。ここでは震災による鉄道の被害について紹介します。また、福井市立郷土歴史博物館サイト内にあるふくいの歴史アーカーブスに収録されている福井震災の資料から、震災で被害を受けた鉄道車両をピックアップし、どこで被害を受けたかについても調査しましたので報告します。
福井震災における鉄道の被害
鉄道施設被害まとめ
被害総額:8憶2,183万円
被害内容:路線202か所、建物450件、列車脱線3件
震害区間:総延長96.0km(内訳:国鉄・北陸本線 大土呂~作見間 40.2km、京福電鉄・三国芦原線 福井口~本庄間 17.4km 金津~泊間 13.2kmなど
国鉄
国鉄では地震により3列車が被災、貨車43両が転覆、北陸本線38km、側線30kmで軌道の陥没・隆起、枕木26000本が破損しました。九頭竜川橋梁は完全に落橋し、各駅舎も被災したことで国鉄職員は5人が殉職、94人が重軽傷を負いました。
杉津駅付近では敦賀駅を発車した救援トロッコが鯖江からの列車と衝突する事故も発生、敦賀管理部の職員や中部日本新聞の記者が負傷しました。
国鉄においては九頭竜川を境に、南を敦賀管理部、北を金沢管理部が担当し、復旧にあたりました。復旧費用は約6億円です。武生以南と石動橋以北は地震発生日の6月28日夜に復旧し、米原~福井間は7月1日に開通、森田以北は7月22日に開通しました。最大の難所だった落橋した九頭竜川橋梁は7月23日は仮復旧し、北陸本線全線が開通しました。本橋梁は1949年1月20日に完成しました。
場所 | 列車番号 | 行先 | 被災状況 |
福井操作場 | 客50号 | 米原発 直江津行 | 福井操作場を発車後、約200m進行したところで被災、機関車1両脱線、人命の被害なし。 |
北福井駅(北福井信号所) | 客603号 | 富山発 米原行 | 北福井駅構内で貨555列車(福井駅北側で被災)を待ち合わせ中に被災、10両編成のうち、機関車と続く4両が右側に脱線転覆し、上下線とも支障。乗客2人、職員1人が負傷。 |
丸岡~金津間 | 客11号 | 福井発 丸岡行 | 5両編成、丸岡駅を出発し、金津に向かって900m走行したところで被災、機関車1両と客車4両が脱線転覆。乗客3人、職員4人負傷。 |
福井~北福井間 | 貨555号 | 福井駅を出発し、北福井駅に向かっている最中に被災、機関車1両と貨車45両中44両が脱線転覆、職員1人死亡、3人が負傷。 |
京福電鉄
福井平野北部に路線を持つ京福電鉄は震源の近くだったことからほぼ全線が被災、九頭竜川橋梁の落橋を筆頭に各橋梁や盛土のズレや沈下が至るところで発生し、最も大きな被害を受けました。109両の車両が脱線や転覆し、そのうち19両が大破・中破しました。車庫内で被災28両、各駅構内で被災19両。
最も被害が大きかった京福電鉄ですが復旧は早かったです。8月11日までには大半の区間で運行を再開しましたが、9月3日には九頭竜川橋梁、11月22日には金津~本丸岡間と被害の大きかったこの区間の復旧には数か月を要しました。鉄道の運転再開までは、バスや渡船による応急連絡が全地域で実施されました。
場所 | 被災状況 |
新福井~福井口間 | 4両が脱線転覆、車両は大破。 |
福井口~開発間 | 上り2両編成が転覆、水田に転落。 |
本丸岡~西瓜屋間 | 下り貨物混合列車が水田に転落、死者12人。 |
福井鉄道
福井平野南部に路線を持つ福井鉄道は比較的被害が少なく、営業距離53kmのうち、被災したのは福井市内の6kmです。主な被害の内容は盛土線路敷きの沈下で、福井市内では電車が火災に巻き込まれました。
被害が少なかったことから福井市内線は7月7日に復旧を終え、7月13日には全線開通しました。
参考資料:災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 第1章 P115 第7章 P173
新修福井市史Ⅰ P545~546
被災した鉄道車両
福井市立郷土歴史博物館サイト内にあるふくいの歴史アーカイブス(https://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/archives/kindai/index2.html)には福井震災の資料が豊富に収録されています。この中から鉄道車両の写真を引用し、当該車両がどこで被災したかを調査しました。当時の航空写真は国土地理院サイトより引用。
北陸本線 北福井信号所付近
国鉄北陸本線北福井信号所では福井方面行10両編成の列車が機関車と前4両の転覆が発生しました。
右に写っている建物は北福井信号所です。
ウォルター・オカ氏撮影
72年前と同じアングルで現在の場所を撮影。
奥の方に写っている送電線は現在もあります。
航空写真
震災翌日の1948年6月29日に撮影された航空写真です。北福井信号所の建物南側で機関車と客車が横転しているのがわかります。
国道416号大願寺跨線橋北側付近で転覆が発生しました。
日之出1丁目付近
京福電鉄(現・えちぜん鉄道)新福井~福井口間において、国鉄の車両と京福の車両がそれぞれ転覆しました。
福井震災一周年記念『廃墟と復興』より引用、脱線転覆した555列車
72年前と同じアングルで現在の場所を撮影。
現在北陸新幹線の工事が行われているこの場所で72年前に機関車と電車が転覆しました。
この道は下記航空写真で「道」と記載してある道です。高架化事業で数十年ぶりに通行できるようになりました。
航空写真
震災翌日の1948年6月29日に撮影された航空写真です。72年前の写真は航空写真内の「撮影アングル」で撮影されました。北陸本線の貨物列車がほぼ全車両横転し、京福電鉄も福井側の1両が横転しているのがわかります。
現在の同一場所です。
福井駅前電車通り
現在でいう福井駅前電車通りでは福井鉄道の車両2両が被災しました。
①響きのホール付近
ウォルター・オカ氏撮影
現在でいう響きのホールの前付近で1両被災しました。この写真は西武百貨店新館前付近から福井駅方面に向かった撮影されものです。
72年前と同じアングルで現在の場所を撮影。
車両は震災後に修復され、1997年まで活躍し、現在は下馬中央公園で震災電車として保存されています。
この写真は同じ車両を響きのホール前から西武百貨店本館に向かって撮影したものです。右後ろには福井震災を象徴する大和百貨店、左後ろにはテアトルサンク福井の前身である松竹座が写っています。
72年前と同じアングルで現在の場所を撮影、後ろの三井住友信託銀行福井支店(当時は酒伊興行ビル)は震災当時から変わっていません。
②元町再開発付近
駅前で被災したもう1両です。こちらは金属の床下部しか残っていません。この車両は現在でいう元町再開発の前にある交差点付近で被災しました。後ろに福井駅北側にあった日本通運福井支店のビルが写っています。
72年前と同じアングルで現在の場所を撮影。
開発1丁目付近
開発1丁目付近では京福電鉄の上り列車2両編成が脱線しました。
現在の同位置です。車両は線路右側の田に転覆しました。当時は水路と道路がもう少し右側にあり、線路の水路の間に田がありましたが戦後の区画整理で現在の線形になりました。