旧福井駅地下道廃止9年後の姿

高架化される以前の福井駅の真下には東西をつなぐ地下道が2006年8月までありました。封鎖後、東西地下道入口は解体され、東西駅前広場整備により痕跡は地上から姿を消しました。ただ一か所、えちぜん鉄道改札横入口を除いては。入口に床が貼られ、9年間物置として使用されていました。それが2015年11年、えちぜん鉄道高架化工事で地上にあった駅舎が撤去されたことにより、入口が姿を現しました。9年間地下に眠っていた地下道は現在どうなっているのかを紹介します。

 

〇前記事は下記リンクより、福井駅地下道の解体記録 -福井思い出建築物-

前に戻る

2008年8月21日をもって閉鎖された福井駅地下道、地下道の解体は2008年11月下旬から始まりました。ここでは3か月にわたり記録した地下道の解体の様子を紹介します。 〇前記事は下記リンクより、福井駅地下道の現役時代の姿 [si[…]

 

福井駅地下道の歴史

福井駅地下道は放送会館前の「大手地下道」(1968年完成)に次いで市内二番目の地下道として1973年に完成しました。東西それぞれに出入口が2つずつ、合計4か所出入口がありました。そのうちの一つが今回紹介するえちぜん鉄道福井駅舎に直結していました。2005年4月に福井駅が高架化されると、利用者は激減、地下道としての役割を終え、2006年8月21日閉鎖・解体され、33年の歴史に幕を下ろしました。

2006年、現役の地下道西口入口

 

9年ぶりの地下道

2015年11月、地下に眠っており、市民からも忘れられた地下道はえちぜん鉄道旧福井駅舎解体に伴い9年ぶりに姿を現しました。

アオッサより

更地となったえちぜん鉄道福井駅舎跡地にぽかっと地下への階段が開いています。

 

地下道入口

作業員の許可を得、中へ入ります。

 

地下道入口です。

 

入り口の両側のコンクリート壁はもう50cm高かったですが、削られ、奥に残骸が置かれています。

 

2006年に同位置から撮影した写真です。

地下道内部

それでは内部に入ります。壁には手すりの跡が残っています。

 

この入り口はクランク状になっており、2度折れて地下道本坑につながっています。天井まで水没していた時期もあるためか、壁が茶色になっています。

 

2006年に同位置で下から上へ撮影した写真です。

 

本坑に降り立ちました。内部は40cmほど地下水がたまっています。なぜか植物が浮いていますが葉がついているので最近入れられたものでしょう。

 

左側、西口駅前広場まで100mほど続いていると思われます。

 

2006年の同位置

 

正面、人類滅亡後の世界って感じですね。

 

右側、10mほど先でコンクリート壁により封鎖されています。その先は埋められているでしょう。

 

2006年の同位置

 

天井に残るえちぜん鉄道改札案内看板

 

壁に残るえちぜん鉄道改札案内看板

 

地上に戻ります。

 

 

2006年に同位置から撮影した写真です。

 

以上、旧福井駅地下道廃止9年後の姿でした。今回紹介した入り口はこの後すぐに埋めら、地下道は再び暗闇に閉ざされました。次は数十年単位、もしかしたらもう二度と人の目に触れない可能性もあります。

 

併せて読みたい記事

〇福井駅地下道の現役時代の姿

現役時代

福井駅が地上にあった頃、線路の壁で分断された駅の東西を行き来する歩行者の便を図るための地下道がありました。2005年4月に福井駅が高架化し、東西交通が接続されると地下道は役割を終えました。ここでは廃止直前の福井駅地下道の様子を紹介します。福[…]

 

〇福井駅地下道の解体記録

解体中

2008年8月21日をもって閉鎖された福井駅地下道、地下道の解体は2008年11月下旬から始まりました。ここでは3か月にわたり記録した地下道の解体の様子を紹介します。 〇前記事は下記リンクより、福井駅地下道の現役時代の姿 [si[…]

福井思い出建築物TOPへ