【福井鉄道笏谷線探索①】福井市豊・社北地区には貨物線が建設された

福井市の豊・社北地区には戦時中に福井鉄道の支線が計画され、途中まで建設が進めらていました。ここでは福井鉄道笏谷線(未成線)と題し、支線について紹介します。

福井鉄道笏谷支線とは

最初に戦後すぐに撮影された航空写真(1947年10月撮影、国土地理院サイトより引用)をご覧ください。

福井赤十字病院の南側から、八幡山の北側、門前を通って、加茂河原に至る道筋が映っています。

道筋の正体

私は2015年2月に一度この道筋の件でブログを書きました。その時はネットや関連書籍を調べても正体がわかりませんでしたが、笏谷石運搬のための貨物線計画跡ではないかと結論付けました。(工事軌道の廃線跡、道路、水路などいろいろ考えました。)それから4年、福井市立図書館の郷土史コーナーにて、別件の調査をしている時に手に取った「豊地区誌」正体が書いてありました。

その正体は太平洋戦争中に計画・建設された貨物線です。

戦時中、アメリカ軍の空襲を避けるために舞鶴にあった官軍工廠(海軍の工場)の疎開工場が足羽山に移転することになりました。舞鶴海軍工廠福井第55工場をはじめ、足羽山の笏谷石の採石場を利用したいくつかの軍需工場が建設され、昭和19年には工作機械の搬入も行われました。

 

※昭和5年の地図、足羽山西部は笏谷、小山谷と呼ばれ、笏谷石の採石場が集中していました。

 

建設された工場に資材を運搬するために計画されたのが今回取り上げる貨物支線です。路線名はわからなかったのでここでは便宜上「福井鉄道笏谷線」と名付けました。ルートは上の航空写真のとおり、福井鉄道赤十字前駅から西に分かれ、日赤病院の南側を通り、豊小学校の校庭を斜めに横断し、八幡山の北側を通り、足羽山西部に至るというものです。当時、福井鉄道の越前武生駅には国鉄北陸本線との連絡線があり、貨物列車が相互に乗り入れていました。

支線の建設はかなり進み、終戦の頃には路盤工事がほぼ終わり、豊小学校の校庭には長い土手が延びていました。

※豊小学校の校庭を斜めに横断する土手

 

支線のその後

支線は開通することなく終戦を迎え、建設は中止となりました。戦後、路盤は取り壊され、元の田畑や住宅になりました。高度経済成長時代まで痕跡は残っていましたが、区画整理事業が行われるとほとんどの遺構は消滅してしまいました。しかしこのときの計画は戦後、別の支線に受け継がれました。それが有名な大和紡績の貨物線です。

大和紡績貨物線は1951年に開業し、1977年に廃止になりました。貨物の本数は少なく、貨車も1,2両だったそうです。フェニックス通りの踏切は手動で、貨物列車の運転士が踏切手前で列車を停止させ、降りてきて遮断器のハンドルを回して、車の流れを止めていました。ちなみにこの踏切には信号機も設置されたのですが、それは福井県における最初の信号機だったそうです。

 

現地調査(赤十字前駅~豊小学校)

机上調査の結果をふまえ、現地調査をしてきました。歴代の航空写真を見比べ、現在の航空写真にルートを落としました。

 

ルート図

①福井鉄道赤十字前駅

複数の引き込み線がある大きな駅です。1948年の航空写真を見ると4面4線あり、東側には貨物ホームもありました。

 

②赤十字前駅から南へ200mほどいった地点

この付近は線路用地が少し広がっています。この広がりは1948年にはすでに存在しており、支線の合流予定地点と一致するため、計画の名残でないかと思っています。

 

 

 

大和紡績への貨物線はここから分岐していました。手前から奥の駐車場に向かって線路が引かれていました。

 

③大和紡績貨物線跡

大和紡績貨物線の象徴的な場所です。駐車場右側に線路が引かれていました。駐車場がカーブしているのは線路に沿っていた名残です。

 

③の位置から振り向いて撮影、道路はここから少し広くなっています。なぜここから道路が広くなっているか航空写真を見比べたところ、この辺りには昔大きな工場or倉庫があり、その跡地を住宅地としたことがわかりました。ちなみに写真右側にある畑は戦前からありました。

 

④ ③の地点の南側

赤線はルート推測線です。ここから先、福武線側を「起点」、笏谷側を「終点」と表記します。

 

起点側

この住宅の裏が福武線です。

 

終点側

写真真ん中がルートです。

 

⑤フェニックス通り(現・県道、旧国道8号)

直線の道は戦後作られました。戦前の国道は左斜めです。支線はちょうど国道がカーブしているところを横断していました。

 

起点側

写真真ん中がルートです。

 

終点側

写真真ん中がルートです。

 

推測ルート横にある住宅が気になっています。この住宅おそらく戦前からあるのではないでしょうか。1948年の航空写真に似た建物が映っており、建物も道路に対し、少し斜めに立っています。この斜めは県道がカーブしていた時の名残で、戦後直線化した時に現在の線形になりました。

 

⑥日赤南側付近

この直線道路は戦前からあります。支線はこの付近で道路を横断していました。ちなみに右奥の大きめの駐車場は飛山牧場の跡地です。

 

起点側

写真真ん中がルートです。この付近から西側は1948年の航空写真に痕跡がはっきり残っており、支線の場所が確定しています。

 

終点側

写真真ん中がルートです。

 

撮影場所の日赤側に気になる蔵がありました。

 

一般住宅地内にあるこの蔵です。

 

事前の机上調査の時に、この蔵は戦前からあるのではないかと推測していました。1948年の航空写真に赤矢印で示した蔵です。支線のルートは蔵を目印に推測しました。

 

⑦市営住宅月見団地付近

市営住宅月見団地に来ました。支線は団地に山側を通っていました。

 

起点側

机上調査で支線は団地が建っている地面と同じレベルを通っていたら考えていましたが、現地調査をしたところ右上の住宅が建っている地面のレベルが山際に続いていたので、ここを通っていたのではないかと推測しました。

 

終点側

左上の住宅付近が支線跡です。

 

探索は豊小学校まできました。

次回は豊小学校付近から開始しました。

 

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