福井市の豊・社北地区には戦時中に海軍の貨物線が計画され、途中まで建設が進めらていました。ここでは海軍工廠福井工場専用線(未成線)の探索結果を紹介します。
〇前記事は下記リンクより、【福井市内の未成線探索①】福井市豊・社北地区には海軍の貨物線が建設されていた
福井市の豊・社北地区には戦時中に軍の貨物線が計画され、豊から加茂河原まで建設が進めらていました。ここでは海軍工廠福井工場専用線(未成線)と題し、貨物線について紹介します。 福井鉄道笏谷支線とは 最初に戦後すぐに撮影された航空写真(194[…]
現地調査(豊小学校~藤ヶ丘団地)
前回に引き続き豊小学校付近から紹介します。
ルート図
⑧豊小学校東側
この辺りを貨物線が通っていました。
起点側
写真真ん中がルートです。この住宅の裏は高台になっていますのでそこにむけて土手が築かれていました。
終点側
写真真ん中がルートです。
写真中央に写っている防火水槽に向かって、土手がありました。
1947年の航空写真を見ると、豊小学校の校庭を横断するように土手が築かれているのがわかります。
福井市豊小学校百年史によるとグランドに築かれた築堤は幅員6間、高さ2間で戦後もしばらく放置され、教育上非常に支障をきたしたそうです。築堤は校庭の三分の一を占めており、当時の校長が市に撤去を依頼し、1947年春にようやく撤去されたと記述されています。
⑨豊小学校西側
起点側
ここから奥の高台に向けて、勾配が続く土手がありました。
終点側
道路左側の擁壁上の住宅が貨物線跡だと推測しています。戦後から1975年頃まで左側住宅地には工場と思われる大きな建物がありました。
道沿いを進みます。擁壁は一定の高さを保ったまま道に沿って続いています。
⑩付近
道路と山の間の貨物線跡地に家が並んでいます。戦後しばらくは畑として使われていました。
⑪付近
この付近から貨物線は八幡山の麓から田園地帯の真ん中を横断し、門前の方に向かいます。
1948年の航空写真を見るとご覧のとおりです。ちなみに矢印の道は、拡幅されて現存しています。
現地調査(藤ヶ丘団地~門前)
ルート図
⑫藤ヶ丘団地西側
1960年頃の航空写真です。ルート図の1948年の航空写真と見比べてもらえばわかりますが、⑪から兎超坂にかけては藤ヶ丘団地やカルチャーパ-ク(旧科学技術高校)造成に伴い、痕跡は完全になくなっています。2つの航空写真を見比べ、貨物線を赤破線で表示しました。
藤ヶ丘団地とカルチャーパークの間です。貨物線はこの付近を通っていました。
起点側
写真真ん中がルートです。
終点側
写真真ん中がルートです。
⑬カルチャーパーク駐車場
カルチャーパークの駐車場に来ました。貨物線はカルチャーパークの北側を横断していました。
起点側
写真真ん中がルートです。
終点側
写真真ん中がルートです。
⑭兎超坂
現在の車道は1995年頃にできました。それ以前は1車線しかない車道で、北側の県道からおさごえ民家前の道路につながっていました。
起点側
終点側
⑮門前の県道
起点側
終点側
県道から兎超山上の公園に続く階段を登ると県道から2mほど高い場所に平場があります。共同コンピューターの裏側斜面です。
起点側
終点側
反対側にも平場が続いています。1948年の航空写真を見ると、山を削ったような痕跡があります。ここは笏谷石の採掘場跡(福井市立自然史博物館サイトに一覧図あり)ではないため、貨物線建設のために山を削った場所と推測します。
⑯フジ企画付近
この道は戦前からある車道です。昔はこの道が東西の幹線道路でした。
この道も昔からあります。
1948年の航空写真を見ると貨物線跡地に建物が建っています。この建物は現在のフジ企画付近になります。
〇続きは下記リンクより、【福井市内の未成線】海軍工廠福井工場専用線探索③ 門前1丁目区間
福井市の豊・社北地区には戦時中に海軍の貨物線が計画され、途中まで建設が進めらていました。ここでは海軍工廠福井工場専用線(未成線)の探索結果を紹介します。2019年11月上旬に探索しました。 〇前記事は下記リンクより[…]
〇前記事は下記リンクより、【福井市内の未成線探索①】福井市豊・社北地区には海軍の貨物線が建設されていた
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