【福井市内の未成線】福井鉄道笏谷線探索④(完結) 加茂緑苑町~加茂河原町区間

福井市の豊・社北地区には戦時中に福井鉄道の支線が計画され、途中まで建設が進めらていました。ここでは福井鉄道笏谷線(未成線)の探索結果を紹介します。2019年11月上旬に探索しました。

〇前記事は下記リンクより、【福井市内の未成線】福井鉄道笏谷線探索③ 門前1丁目区間

探索③

福井市の豊・社北地区には戦時中に福井鉄道の支線が計画され、途中まで建設が進めらていました。ここでは福井鉄道笏谷線(未成線)の探索結果を紹介します。2019年11月上旬に探索しました。   〇前記事は下記リンクより、【福[…]

現地調査(加茂緑苑町付近)

加茂緑苑町付近を探索します。

ルート図

 

⑳足羽山公園駐車場付近

足羽山公園駐車場付近です。田の中を直線に進んでいた支線はこの付近で再度山際を進みます。駐車場と山の間付近になります。この辺りは戦後の圃場整備、バブル期の区画整理事業(南部第三社北(市)1982年~2003年)で地形から変わっており、支線の痕跡はありません。

 

起点側

 

終点側

 

㉑石切不動明王付近

支線は現在の石切不動明王前を通っていました。この場所の笏谷石の石切場が戦前からあったかどうかは過去の航空写真からは判断できませんでした。

 

起点側

 

終点側

1948年の航空写真を見ると山際に沿って用水路が流れており、それに沿って支線が建設されていました。路盤は現在の石切不動明王の敷地と同じぐらいだったでしょうから、現在の道路よりも1mほど高かったでしょう。

 

ちなみに石切不動明王の駐車場には土留めとして古レールが使われていました。サイズ的に坑道内で使われていたトロッコ軌道のレールでしょう。

 

 

㉒社北1号緑地付近

支線はこの付近で最後の谷間ショートッカットをします。

 

起点側

 

終点側

この辺りの山際には当時の道路の痕跡がはっきり残っています。

 

この付近は区画整理は2003年に完了していますが、2020年現在になっても区画整理当時の看板が残っていました。

 

㉓若茂住宅地入口付近

支線はいよいよ終点の福井市加茂河原町の若茂住宅地に至ります。

起点側

 

終点側

 

現地調査(若茂住宅地付近)

支線は現在の福井市加茂河原町の若茂住宅地付近で終点になっています。1948年の航空写真を見ると操車場が計画されていたのか、支線に沿って土地の造成が行われていました。また、現在の加茂河原2丁目付近には軍事施設らしき建物が複数写っています。笏谷石の石切場は現在の西墓地や加茂河原1,4丁目の地下に広がっており、この辺りに地下軍需工場が固まっていたと思われます。地形的にもこの場所に操作場があれば各工場への物資の輸送が効率よく行えるでしょう。西墓地地下にメインの軍需工場があったので坑道を延ばせば直接貨物車両を工場に引き込むこともできます。

この操作場予定地の土地は戦後、民間に払い下げられたのか、1965年頃の航空写真には工場・倉庫らしき建物が写っています。また、支線跡地より北側では住宅地造成工事が行われています。山の上には西墓地が写っています。

 

1975年の航空写真を見ると、操作場跡地の工場・倉庫は健在で、北側の住宅地も家が立ち並んでいます。明里橋通りは建設中です。

 

1987年になると、操作場跡地の工場・倉庫はなくなり、北側の住宅地と一体的な宅地開発が行われています。西側では区画整理事業(南部第三社北(市)1982年~2003年)で新しい道路や街区が建設されています。こうして、現在の街区が誕生しました。

 

そして現在、操作場跡地は住宅地になりました。しかし、操作場の痕跡は若茂公園付近の斜めの宅地・道路として今も残っています。

 

若茂公園北側宅地の斜めの地境はかつての支線の痕跡です。下で紹介する㉕付近です。

 

軍事施設があったと思われる場所の2020年1月現在の様子です。古民家が立ち並んでおり、古い倉庫は畑になっていました。

ルート図

 

㉔操車場開始地点付近

この辺りから操作場が広がっており、戦後は工場や倉庫が立ち並んでいました。当時の街区は今と違います。

 

㉕斜め道路付近

今も残る操作場の痕跡です。赤線付近に支線があり、赤線より右側に操作場がありました。

 

㉖操作場末端付近

斜め道路は緩やかな勾配で登り、明里橋通りに合流します。この辺りが支線の末端で、操作場の終わりです。この付近は宅地開発時に盛土されているため、操作場があった時よりも地面は高くなっています。

 

以上、福井鉄道笏谷支線の探索記でした。なにぶん戦時中の話なもので入手できる資料が少なく、推測で調査・執筆したところもあるため、他に資料や証言があればコメントに記載していただけたらうれしいです。

支線は開通せず、未成線となりましたが、完成していたらどんな路線だったのか、どんな運用が行われていたのか、戦後はどうなっていたのかなど、たくさんのifが考えられます。こんな計画があり、実際に着工されていたという事実は、福井の戦時史の一つエピソードとして残っていくでしょう。

 

出典

・「豊地区誌」

・「生きているふくい昭和史(下)」福井新聞社

・国土地理院航空写真

 

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探索③

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