福井県の交通安全施設についていろいろ調べてみました。
福井県最初の信号機は福井市月見町に設置された
福井県内で最初の交通信号機が設置されたのは、昭和26年(1951年)です。場所は福井市月見1丁目と2丁目のフェニックス通り、赤十字病院入口交差点付近でした。
当時、この付近には福井鉄道福武線から大和紡績福井工場へとつながる鉄道の引込み線(貨物線)が敷かれており、貨物列車が道路を横断する際に信号を赤にして車を停止させていました。
当時のフェニックス通りは、交通量の多い国道12号(現在の国道8号)に指定されていました。当時は主要な交差点でも人力で交通整理が行われる時代であり、遮断機のある踏切ではなく、貨物列車が通過する際には係員が直接車道に出て車の流れを止めていたと考えられます。この作業を効率化する目的で、信号機が設置されたのではないかと思われます。
△1960年代の航空写真
現在地
2024年12月現在の様子。横断歩道手前を道路を斜めに線路が横断していました。
交差点南西角にある小さな三角形の土地は線路跡地です。福井市豊地区交通事故物故者之碑が立っています。奥の建物は福井市の大気汚染監視測定装置自動車排出ガス観測局です。
両方とも交通に関するものですね。
線路が敷かれていた方向
2番目に設置されたのは福井駅前交差点
県内で2番目に信号機が設置されたのは、昭和30年(1955年)11月14日、福井駅前交差点(現在のハピリン前スクランブル交差点)です。3番目は昭和32年(1957年)10月5日、福井裁判所前交差点に設置されました。これらは自動車専用の信号機でしたが、歩行者用信号機が初めて設置されたのは昭和38年(1963年)12月3日、福井市の大名町交差点です。この交差点は、昭和27年(1952年)に設置された「大名町ロータリー」が交通量の増加に伴い撤去され、「大名町交差点」として改められた際に、県内初の三現示信号機が導入されました。この時、交差点には自動車用信号機5基、路面電車(福井鉄道)用信号機3基、歩行者用信号機8基が設置されました。
北陸で初めての音の交通信号機を福井市に設置
昭和42年(1967年)12月、福井市牧島町(現・文京3丁目)の県立盲学校近くにある市道交差点に、北陸初の「音の交通信号機」が設置されました。この信号機は、赤・黄・青の3色信号に電子音響装置を追加し、目の不自由な方が安全に通行できるように工夫されたものです。音質とメロディーの変化によって、東西および南北方向それぞれの「進め」や「止まれ」を知らせる仕組みとなっています。
さらに、昭和50年(1975年)9月22日には、福井駅前北側の横断歩道と福井市大手3丁目の県庁入口交差点の2か所に、青信号になると「カッコウ」と「ピヨピヨ」の電子音が鳴る視覚障害者用信号機が設置されました。
県内初のカーブミラーは越前市の山中に設置
福井県内最初のカーブミラーは昭和30年(1955年)9月、越前市の春日野トンネル付近の国道8号(旧道)に設置されました。鏡の大きさは横90cm、縦60cm、高さ約3mの柱に取り付けられました。
以上、福井県最初の信号機は福井市月見町に設置された でした。