福井市の足羽山は太古から笏谷石の産地として知られており、江戸時代以降大規模な採掘がおこなわれてきました。今回紹介する七ツ尾口は現在も人が立ち入ることができる坑道では最大規模で、今もトロッコ軌道が敷かれています。福井県内でも貴重な現存している鉱山用トロッコ軌道の現状について調査しましたので軌道を中心に紹介します。
七ツ尾口とは
七つ尾口坑道は足羽山にある現在も人が立ち入ることができる中では一番大きな坑道です。奥行は約350mあり、複数の坑道が分岐しています。この坑道は1963年まで笏谷石の採掘がおこなわれており、戦時中は舞鶴海軍工廠の福井第55工場として利用されていました。軍需工場時代の名残は今も坑道内に残っています。採掘中止以降も坑道内の設備は残され、現在も見ることができます。今回紹介するトロッコ軌道も最後まで使われていたものです。
足羽山西墓地公園の東側麓にある七つ尾口入り口
トロッコ軌道
大規模な鉱山の坑道にはトロッコ軌道がつきものです。福井県内では大野市の中竜鉱山のトロッコ軌道が有名で、当時の車両が今も近くの資料館や九頭竜国民休養地に動態保存されています。福井県内の大規模な坑道跡で現在も中に入れるところは少なく、七つ尾口のトロッコ軌道は県内で貴重な存在です。
普段は立ち入り禁止の七つ尾口ですが所有者の越前石さんの特別な許可を得て、内部を見学及び調査をさせていただきました。目的は坑道内に残る鉄道遺産の調査です。
図は福井青年会議所が1977年に七つ尾口を観光利用できないか調査するために作成した図面です。当時の見学利用範囲や地名、軌道などが描かれています。入口から奥の三湖まで伸びる軌道は現在どうなっているか、調査しました。
現在の坑道図
上の図は現地調査を元に作成した現在の七つ尾口坑内です。
残置軌道延長
軌道延長は私が実際に坑道内で測量をしました。
A地点 | 32.9m |
B地点 | 23.1m |
C地点 | 116.3m |
D地点 | 22.0m |
E地点 | 28.8m |
合計 | 223.1m |
現在の七つ尾口は単独の坑道の集まりだったのを1918年(大正7年)以降、横につなげる通路(現在の笏谷本坑)を掘り、一体化したものです。トロッコは1918年以降に導入されたと推測しています。
聞き取り
案内人の方にトロッコが現役時の様子を教えてもらいました。
・石材運搬には車輪4つの手押しトロッコを使用、バケツ型のトロッコもあり、人やクズ石の運搬に使用した。
・トロッコには尺六を6本(2本/段×3段)乗せた。尺六=100kg/1本。運搬する時は縄で縛る。
・入口は低く、奥に行くほど高くなる設計で、搬出時は下り勾配になっている。
・トロッコはフシミ(石を運んだりトロッコを押す力持ちの人)が3~4人で押した。
坑内の様子
入口
入口前の広場です。砕石場が現役時にはこの広場に三角形の小屋が3,4軒あり、その前まで線路が延びていました。小屋の中では採掘された石材を作前の人らが荒仕上をし、それを街の石屋さんが買いにきていました。
それでは中に入っていきます。現在の七ツ尾口の入口通路は1944年に軍需工場を建設するために舞鶴工廠により掘られました。現役時はこの通路に線路が引かれていました。
かつては素掘りでしたが、安全のため、1989年に鉄アーチで補強されました。
坑道内部の写真については地権者の意向により、しばらくは非公開にします。
今回はトロッコ軌道を中心に調査をしましたが、七ツ尾口には地図に載っていない謎の坑道が多数残っているため、全貌を解明してみたいという気持ちが高まりました。しかし、坑道内という危険な環境のことから、素人が簡単に手をだしてはいけないものでもあります。いつの日か本格的な調査が行われるのを期待しています。
以上、足羽山に眠るトロッコ軌道~笏谷石坑道七ツ尾口~でした。